本刀は、鎌倉時代中期に備前国(現在の岡山県東部)で活躍した刀工「光忠」(みつただ)が作刀した打刀です。
「織田信長」は、光忠が制作した刀剣をこよなく愛していたと言われており、本刀もその1振と言われています。そのあと「徳川家康」へ贈られ、徳川家康から水戸藩初代藩主「徳川頼房」(とくがわよりふさ)のもとへ渡りました。のちに徳川頼房の七男「松平頼雄」(まつだいらよりかつ)が常陸国(現在の茨城県)宍戸藩を立藩した際に贈られ、明治時代まで松平家の家宝として大切にされます。
刃長は72.5㎝、反りは2.4㎝。 制作者である光忠は、古備前派のような小沸付いた小乱れの作風以外にも、華やかな乱れ刃を焼いた豪壮な作風など、幅広い作刀を行なった腕利きの刀工です。華麗な刃取りで切れ味にも優れていたため、諸大名や武士から高い人気を誇っていました。
本刀は、1940年(昭和15年)5月3日に旧国宝指定、1951年(昭和26年)6月9日に国宝指定されており、現在は個人蔵。光忠が制作した作のなかでも、刀剣鑑定家「本阿弥光徳」(ほんあみこうとく)が光忠作中の白眉と評した逸品です。