「愛染国俊」は、二字国俊(にじくにとし)作の在銘の短刀で、「享保名物帳」(きょうほうめいぶつちょう)にも記載がある。「愛染」という名前の通り、刀身には愛染明王(あいぜんみょうおう)が彫られ、茎にも愛染明王の毛彫がなされており、刀剣における修験道装飾でも非常に価値が高いものとされている。
刀として、地鉄(じがね)は小板目(こいため)が詰んで、地沸(じにえ)が細かくつき、刃文(はもん)は互の目(ぐのめ)が少し乱れたようである。
伝来は、豊臣秀吉から、森蘭丸(もりらんまる)の弟である、森忠政(もりただまさ)に与えられた。
本阿弥家(ほんあみけ)の「名物控」(めいぶつひかえ)には、将軍徳川秀忠(とくがわひでただ)より森忠政が拝領したとされているが、この場合押形との年代が一致しないため、「享保名物帳」編集時に、豊臣秀吉より拝領と改めたと考えられる。森忠政の没後は、その遺物として将軍徳川家光(とくがわいえみつ)に献上された。徳川家光は養女である大姫(おおひめ)を前田家に嫁がせた。それが産んだ徳川家光の初孫「犬千代丸」(いぬちよまる)は、のちの加賀藩主「前田綱紀」(まえだつなのり)となる。大姫が犬千代丸を伴って1644年(正保元年)に謁見したとき、徳川家光はわずか2歳の犬千代丸に愛染国俊を授けた。孫に愛染明王の加護があるよう、祈ってのことと考えられる。
以後、前田家に伝来し、旧国宝であったものの、現在は「重要文化財」に指定されている。