「鎺国行」は、「仙台藩」(現在の宮城県)の藩主「伊達政宗」の愛刀として知られる太刀です。主君「豊臣秀吉」が1589年(天正17年)、目赤鶴を捕まえたという伊達政宗の鷹を所望した際に、その鶴を添えて献上。そのお礼として、豊臣秀吉より、本太刀が伊達政宗に贈られました。
その後、著名な刀剣研究家であり、本太刀を所有していた「小笠原信夫」(おがさわら)氏の遺族が、2019年(平成31年)に仙台市へ寄贈。「仙台市博物館」には、豊臣秀吉が、伊達政宗に本太刀を下賜したことを証明する礼状も収蔵されており、その来歴が明らかになっているという観点からも、非常に貴重な1振だと言えます。
本太刀は、鎌倉時代中期以降に山城国(現在の京都府南部)で興った「来派」(らいは)の実質的な創始者とされる「来国行」によって制作された1振。柄と鞘の中に、刀身を安全に収めるために用いられる「鎺」(はばき)は、通常は刀工ではなく、専門の職人によって作られますが、本太刀の鎺は、「国行」の銘が彫られていたことから分かるように、刀身制作の際に、来国行本人が手掛けたとされています。このような刀身と同じ鉄で作られた鎺は「共鎺」(ともはばき)と呼ばれ、このことから、「鎺国行」の名称が付けられたと推測されている名刀です。