南北朝時代の山城国(現在の京都府)の刀工で「正宗十哲」(まさむねじってつ)に数えられる長谷部国重(はせべくにしげ)作の打刀。もとは大太刀(おおたち)だったのが、磨り上げられて打刀になり、銘がなくなったので、鑑定した本阿弥光徳(ほんあみこうとく)の金象嵌(きんぞうがん)が入れられています。
「享保名物帳」(きょうほうめいぶつちょう)にも所載された名物で、それによると、名前の由来は、刀を所持していた織田信長が、粗相をした茶坊主を手打ちにする際に、逃げた茶坊主が隠れた御前棚ごと圧し斬ったとする逸話がもととなっています。
「へし切長谷部」はその後、豊臣秀吉の軍師として名高い黒田官兵衛(くろだかんべえ)に下賜され、江戸時代を通じて黒田家に伝来しました。1953年(昭和28年)3月31日、国宝指定。黒田家より福岡県に寄贈され、現在は福岡市博物館の所蔵となっています。