「二つ銘則宗」は、室町幕府初代将軍「足利尊氏」(あしかがたかうじ)が佩用(はいよう)していたと伝わる太刀です。その後は足利将軍家に伝来していましたが、1565年(永禄8年)、13代将軍「足利義輝」(あしかがよしてる)が「松永久秀」(まつながひさひで)によって殺害されたのちに、「豊臣秀吉」の手に渡ります。そして豊臣秀吉は、京都の「愛宕権現」(あたごごんげん:現在の「愛宕神社」)に、本太刀を奉納したのです。
本太刀を手掛けた刀工「則宗」は、鎌倉時代初期に、備前国(現在の岡山県南東部)で隆盛を極めた一門「福岡一文字」の祖とされる名工。本太刀の号が「二つ銘」と称される正確な理由は明らかにはなっていませんが、一説によると、銘にある「備前国」のうち「備前」の文字の形が崩れて「則」の字に見えたために、「則国」と「則宗」の合作であったと誤って判断されたことが、その理由とされているのです。
また、付属の拵(こしらえ)に笹竹の彫刻があることから、拵は「笹丸」(ささまる)も号され、本太刀と共に愛宕神社に所蔵されており、その管理は京都国立博物館(現在の京都府京都市)に寄託されています。