「数珠丸恒次」は「天下五剣」のひとつで、備中の刀工・青江恒次作とされる太刀。日蓮上人(にちれんしょうにん)が信者より寄贈されて愛用した際に、柄(つか)に数珠が巻かれていたことからこの名があります。日蓮没後は身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)に大切に保管されていましたが、享保年間に行方不明に。約200年後の1920年(大正9年)、競売にかけられていた物が発見されますが、久遠寺は贋物であるとして受け取りを拒否。発見者の自宅近くの兵庫県尼崎市にある本興寺に寄贈されて今に至ります。
現存する「数珠丸恒次」は、青江恒次の作風とは異なるため、「備前恒次」の作であるとする説や、「享保名物帳」に記載されたものとは拵(こしらえ)が違うことなどから、真贋(しんがん:本物か贋物か)については、今なお多くの謎に包まれています。