「短刀 銘 吉光」(名物:朝倉藤四郎)は、越前国(現在の福井県)の戦国大名「朝倉義景」(あさくらよしかげ)が所有したと伝えられる1振です。
朝倉義景は、室町幕府13代将軍「足利義輝」から「義」の一文字を与えられた人。1570年(元亀元年)の「姉川の戦い」で「織田信長」に大敗し、居城「一乗谷」で自刃しました。
当時、朝倉義景の愛刀がどこにいったのか不明とされていましたが、江戸時代に尼崎藩(現在の兵庫県尼崎市)藩主「青山幸成」(あおやまよしなり)が1,000貫文(約3,000万円)で購入したことが判明。その後、西尾藩(現在の愛知県西尾市)藩主「井伊直好」、小田原藩主「稲葉正則」へと譲られ、1683年(天和3年)に5代将軍「徳川綱吉」に献上されました。
1697年(元禄10年)に金100枚(現在の価値で約3億円)、1707年(宝永4年)には金200枚(現在の価値で約6億円)と、10年の間に代付けが倍になった稀代の1振。現在は個人蔵です。
本短刀は、地鉄が梨の実を切ったように美しい「梨子地肌」(なしじはだ)状で、沸映り立ち、刃文は直刃で小沸が厚く付き、匂口はしまって金筋入る逸品。制作したのは、「粟田口吉光」(あわたぐちよしみつ)です。粟田口吉光は、鎌倉時代中期に活躍した山城伝・粟田口派の名工で、通称は藤四郎。短刀作りの名手と言われ、「五郎入道正宗」、「郷義弘」と共に、「天下三作」と呼ばれました。