「横須賀江」は当初、「横須賀城」(よこすかじょう:現在の静岡県掛川市)初代城主であった「大須賀康高」(おおすがやすたか)が所持していた刀剣です。「徳川将軍家」の家臣であった大須賀康高は、1586年(天正14年)、江戸幕府の旗本を務めていた「阿部忠吉」(あべただよし)を娘婿として迎え入れた際に、本刀を贈ったことが伝えられています。
その後、「阿部家」は「白河藩」(しらかわはん:現在の福島県白河市)主となり、本刀は江戸時代を通じて、同家で継承されました。このような経緯から、本刀は現在、阿部家の遺品などを収蔵する「小峰城歴史館」(旧「白河集古苑」)に保管されています。
本刀を手掛けたのは、南北朝時代初期に越中国(現在の富山県)で作刀を行なっていた「郷義弘」(ごうのよしひろ)。その師である「正宗」の10人の高弟「正宗十哲」に数えられる名工です。
本刀は、江戸幕府8代将軍「徳川吉宗」の命により、刀剣鑑定を家業としていた「本阿弥家」(ほんあみけ)が編纂した名刀一覧である「享保名物帳」(きょうほうめいぶつちょう)に記載があり、同書にある郷義弘の作刀11振の中では、最高値の「代付」(だいづけ:刀剣の価値を金や銀で表した代価のこと)を与えられた名刀です。