「大垣正宗」は、徳川家家臣として代々徳川家に仕え、大垣藩藩主を務めた戸田家に伝来した刀剣です。そのことに由来し、大垣正宗の名が付きました。
大垣藩初代藩主「戸田氏鉄」(とだうじかね)は、この大垣正宗を2代将軍「徳川秀忠」に献上。大垣正宗を受け取った徳川秀忠は、1623年(元和9年)に、米沢藩2代藩主「上杉定勝」(うえすぎさだかつ)の元服を祝して上杉家に贈っています。これにより大垣正宗は、上杉家所有の刀剣となり、上杉家の名刀帳「三十五腰」(さんじゅうごよう)に加えられました。
1868年(慶応4年)に起きた「戊辰戦争」の際には、東北諸藩で力を合わせて新政府軍に対抗するため「奥羽越列藩同盟」(おううえつれっぱんどうめい)を締結。当時の米沢藩主であった「上杉茂憲」(うえすぎもちのり)も、大垣正宗を帯刀して戦に出陣しました。
しかし、幕府軍の敗色が見えてくると、奥羽越列藩同盟の諸藩達は次々裏切りはじめます。上杉茂憲も力及ばず降伏しました。明治維新後は、米沢藩知事などを経て、沖縄県令、貴族院伯爵議員などを歴任。多くの功績を残しました。