本短刀の号である「伏見正宗」は、「高山藩」(現在の岐阜県高山市)の初代藩主「金森長近」(かねもりながちか)が、京都の伏見で入手し、「徳川家康」に献上したことにちなんで名付けられました。そして1600年(慶長5年)に、徳川家康の養女であった「敬台院」(きょうだいいん)が、「徳島藩」(現在の徳島県徳島市)の初代藩主「蜂須賀至鎮」(はちすかよししげ)に輿入れする際に、婿引出物として贈られています。
その後、明確な時期は不明ですが、水戸徳川家の手に渡り、1690年(元禄3年)に「水戸藩」(現在の茨城県水戸市)の2代藩主「徳川光圀」(とくがわみつくに)が徳川将軍家に謁見した時に、本短刀を献上。さらには、5代将軍「徳川綱吉」(とくがわつなよし)の養女「光現院」(こうげんいん)が、「加賀藩」(現在の石川県金沢市)の5代藩主「前田吉徳」(まえだよしのり)のもとへ嫁ぐ際、蜂須賀至鎮のときと同様に、本短刀が贈られたのです。
本短刀は、平造り(ひらづくり)の姿に、帽子が乱れ込んで沸(にえ)で崩れる刃文が特徴。 無銘ではありますが、「相州伝」の完成者である名工「相州正宗」の作刀であると鑑せられています。