「大江」は、日本刀の種類の中では打刀に属し、騎馬戦よりも徒戦に適した刀剣とされています。大江は、越中国(現在の富山県)の刀工「郷義弘」(ごうのよしひろ:江義弘とも書く)が打った無銘の刀剣です。そして、郷義弘の作品中で最も完成度が高いとして、号に「大」の字を付け「大江」と呼ばれています。
もともとは、室町幕府の足利将軍家が所有した刀剣でしたが、1568年(永禄11年)に「織田信長」が所有することになりました。おそらく、織田信長が室町幕府15代将軍「足利義昭」に面会した折に、足利家から織田信長の手に渡ったと考えられますが、詳しい経緯は分かっていません。
織田信長は、織田家家臣「荒木村重」(あらきむらしげ)に大江を下賜。この荒木村重は、「有岡城」(現在の兵庫県伊丹市)城主を拝命されながらも、織田信長に謀反を起こし、討死にを遂げます。その後、売りに出されていた大江を、刀剣鑑定家の「本阿弥光二」(ほんあみこうじ)が発見。織田信長に献上しますが、織田信長は謀反を起こした家臣の刀剣は不吉だとして、受け取りませんでした。
時代が流れ大江は、「豊臣秀吉」が所有することになり、さらに嫡子「豊臣秀頼」へと引き継がれます。大江については、豊臣家の刀剣台帳である「豊臣家御腰物帳」(とよとみけおこしものちょう)に記録があります。1615年(元和元年)の「大坂夏の陣」で豊臣秀頼が自刃し、豊臣家は滅亡。残念なことに、「大坂城」(大阪市中央区)にあった大江は、そのときに焼けてしまい現存していません。