「短刀 銘 国光[新藤五]」は、相州伝の実質的な祖である「新藤五国光」(しんとうごくにみつ)によって作られた1振です。
新藤五国光は、相模国(さがみのくに:現在の神奈川県)で作刀した刀匠で、「粟田口六兄弟」(あわたぐちろくきょうだい)の末弟である「国綱」(くにつな)の子(孫の説もあり)と伝えられています。国綱から「粟田口伝」(あわたぐちでん)、師匠の「備前三郎国宗」(びぜんさぶろうくにむね)からは備前伝の作風を受け継ぎながらも、新しい時代にふさわしい鍛刀法を研究し続けた名匠です。
当時京都で人気を集めていた「山城伝」の刀工・「来国俊」(らいくにとし)と共に、「東西の双璧」と称され、名工として有名な「正宗」(まさむね)・「行光」(ゆきみつ)らの師も務めました。
本短刀は平造り(ひらづくり)で三つ棟(みつむね)、内反り(うちぞり)。茎(なかご)は生ぶで振袖風になっており、彫物(ほりもの)は表に素剣、裏に梵字(ぼんじ)があります。美しく青く澄んで潤いのある地鉄(じがね)も見どころです。短刀の名手と言われた新藤五国光の作風は沸(にえ)本位の直刃(すぐは)で、地沸(じにえ)は厚く、地景(ちけい)が一面に現われる鍛えとなっています。
本短刀はその特色がよく示された名品であり、昭和55年11月30日、特別重要刀剣に指定されました。