本刀は、新刀期の名工「康継」の壮年期の作品。越前松平家(まつだいらけ)の祖である「結城秀康(ゆうきひでやす)」の次男「松平忠昌(まつだいらただまさ)」が、1615年(慶長20年)の「大坂夏の陣」に指料(さしりょう:自身の腰に差す刀のこと。「差料」とも)とした1振。越前藩(えちぜんはん:現在の福井県福井市)32万石を領した松平家伝来の重宝です。
若々しい覇気に富み、身幅広く、見る者を圧倒する堂々とした刀姿で、青黒く澄んだ地鉄(じがね)は深い潤いが感じられ、中直刃(ちゅうすぐは)に小互の目(ぐのめ)を交えた刃文は、鋭気を含んだ沸(にえ)が輝き、ところどころに金筋・砂流しがかかっています。また、刃中は、雷鳴がとどろくかのように荒々しい働きが見られるだけではなく、凛とした気品に満ちているのです。
元先の幅差がなく、反りは浅く、大切先/鋒の迫力があり、南北朝時代を彷彿とさせる慶長新刀の代表的な刀姿をしています。地鉄は板目に杢目(もくめ)を交え、地沸微塵に厚く付き、沈みごころとなっている匂口(においぐち)からは、切れ味の良さが窺えるのです。
茎(なかご)には、金象嵌(きんぞうがん)の技法を用いて、「二ッ筒落(ふたつどうおとし:「2人の罪人の死体を重ねて切れた」ことを意味する)」という截断銘(試し切りの結果などを表した銘)が堂々とした書体で切られています。切り手の名前は明記されていませんが「中川左平太(なかがわさへいた)」と推測され、資料的にも貴重な1振です。