「左近将監恒次」は、備前国(びぜんのくに:現在の岡山県南東部)に住した名匠です。現存する在銘作は多くはありませんが、「元亨二年」(1322年)の年紀銘が切られた作例が見られることから、鎌倉時代末期に活躍したと推測することが可能。
同銘に備中国(びっちゅうのくに:現在の岡山県南部)の「古青江(こあおえ)」派の刀工がおり、これまで「天下五剣」のひとつである「数珠丸恒次」の作者であるとされてきました。
しかし、近年では、左近将監恒次の説も出てきており、そちらも有力視されるようになってきています。
本刀は、中直刃を基本に小互の目(こぐのめ)・小丁子(こちょうじ)を交え、足・葉(よう)入り、小沸(こにえ)出来の作品。地鉄(じがね)は、小板目に小杢目(もくめ)交じり、地沸(じにえ)は微塵に付いて、地景(ちけい)が細かによく入り、乱れ映りが立っています。
地刃共に健全な傑出した作であり、折返し銘ではありますが、恒次の在銘作は貴重であることから、同工の作柄を研究するための資料としても価値のある1振だと言えるのです。