本刀は、名匠と名高い二代・越後守包貞(えちごのかみかねさだ)の代表作です。二代包貞は、元々美濃伝・関七流(せきしちりゅう)の一派である善定家(ぜんじょうけ)照門(てるかど)の門弟で、のちに大阪に出て初代・越後守包貞へ弟子入り。初銘を「輝包」と刻み、後年は初代包貞の養子となりました。初代の実子・岩松が成人すると、越後守包貞の名を譲り、延宝8年(1680年)以降、自身は「坂倉言之進照包」と改銘しています。
本刀は、延宝4年(1676年)の作で、身幅(みはば)広く、反り浅く、中鋒/中切先(ちゅうきっさき)の姿。小板目肌がよく詰み、地沸(じにえ)よく付き、冴えた地鉄(じがね)。刃文(はもん)は津田越前守助広(つだえちぜんのかみすけひろ)風の濤瀾刃(とうらんば)で、大互の目乱れ(おおぐのめみだれ)に足・葉が入って砂流し(すながし)がかかり、匂口(においぐち)が明るく冴えているのが特徴です。
帽子は小丸に返り、先がわずかに掃き掛け、茎(なかご)は生ぶ(うぶ)で、大筋違(おおすじかい)の化粧鑢目(けしょうやすりめ)。差表(さしおもて)の棟寄りに「越後守包貞」、裏には「延宝四年丙辰八月吉日」の銘が切られています。
二代包貞の作品は、「大業物」(おおわざもの)としても有名です。