初代「伊予掾源宗次」(いよのじょうみなもとのむねつぐ)は、長瀬村の天満宮で神職に従事する家柄の生まれで、その本名は「境三右衛門」(さかいさんえもん)と言います。佐賀藩(さがはん:現在の佐賀県佐賀市)初代藩主「鍋島勝茂」(なべしまかつしげ)に仕え、1606年(慶長11年)に伊予掾(いよのじょう)を受領。のちに伊予大掾(いよのだいじょう)を授与されています。
肥前刀は山城伝法を用いていますが、宗次の作風は、肥前刀工でありながら、沸(にえ)本位で賑やかな乱れを焼き、金筋や砂流しがかかる相州伝風、特に志津風が示されています。また、従来の肥前刀とは異なり、差表に独特の書体で銘を切ることが特徴です。
本刀においても宗次の作風らしく、華やかな焼刃に刃中の働きが豊富で、まさに志津風の作柄が見て取れます。さらには、豪壮な姿でありながらその鍛えには古雅な趣も感じられるなど、非常に優れた仕上がりを見せる1振になっているのです。