本日本刀は、江戸幕府13代将軍「徳川家定」(とくがわいえさだ)が佩用(はいよう:身に帯びて用いること)していたと言われる太刀。
1855年(安政2年)に、武蔵国(現在の東京都、埼玉県、神奈川県北東部)川越藩の藩主「松平上野介康英」(まつだいらこうずけのすけやすひで)が徳川家定に献上した1振です。
また、本太刀には1945年(昭和20年)9月付け発行の「公爵徳川家名・折紙形式の譲り状」(徳川家から贈呈された刀剣であることを証する文書)が付属していますが、この譲り状も大変珍しく貴重な物です。また、本状には「古備前常遠」と記載されていることから、古備前物として古くから伝来した日本刀であることが分かります。
本太刀を作刀したのは、鎌倉時代初期頃に備中国で活躍した妹尾(せのお)派の刀工「常遠」。現存する妹尾派の作品は極めて少なく、非常に優れた出来栄えの本太刀は、「光山押形」(こうざんおしがた)や「古刀銘尽大全」(ことうめいづくしたいぜん)など、著名な文献にも掲載されている常遠の代表的な1振と言えます。
作風は、小板目肌に小杢目肌を交え、地沸(じにえ)厚く、総体に細かく肌立つ、いわゆる縮緬肌(ちりめんはだ)。地斑映り(じふうつり)が現れ、備中鍛冶の特徴である大筋違いの鑢目(やすりめ)となっています。また、匂口(においくち)は明るく冴えて、刃幅はやや広く、同じ備中国(現在の岡山県西部)で栄えた古青江派と比較すると、小丁子乱れが目立つ華やかな刃文となっていますが、これは備前国(現在の岡山県東部)の「古備前」に近い作風です。