本刀は、元帥陸軍大将「小松宮彰仁親王」(こまつのみやあきひとしんのう)殿下が「明治天皇」から下賜された「備前長船元重」(びぜんおさふねもとしげ)の名刀です。
小松宮彰仁親王は、「仁和寺」(にんなじ:京都府京都市右京区)30世の門跡(もんせき/もんぜき:皇族・上級公家が住職を務める寺院、またはその住職のこと)でしたが、1867年(慶応3年)に還俗(げんぞく:出家して僧となっていた者が、もとの俗人に戻ること)。「仁和寺宮嘉彰親王」(にんなじのみやよしあきらしんのう)と称しました。
明治維新に際しては、議定(ぎじょう:明治政府の官職)・軍事総裁に任じられ、「戊辰戦争」では奥羽(現在の東北地方)征討総督として官軍を指揮。明治時代には「佐賀の乱」の征討総督を務めると共に、「西南戦争」では旅団長として出征し、鎮圧に当たっています。1882年(明治15年)、宮号を仁和寺の寺域の旧名小松郷にちなんで小松宮と改めました。
本刀の身幅は広めで、鋒/切先(きっさき)延びごころの刀姿が特色。地鉄(じがね)は板目に流れ肌と地斑(じふ)交じり、乱映りが立ち、刃文は広直刃調に角ばる互の目(ぐのめ)が交じって、足・葉(よう)が入るなど、働き豊富な元重の傑作です。磨上げのときに銘が消えるのを惜しみ、裏側へ折返して残した「折返銘」となっています。