本刀は、芸州広島(現在の広島県)42万石の初代藩主「浅野長晟」(あさのながあきら)が所持した「来国光」作の1振です。
長晟は、1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」以降「徳川家康」に仕え、「大坂冬の陣・夏の陣」にも参戦。1615年(慶長20年)には、大坂夏の陣における戦いのひとつ「樫井の戦い」で、敵将の「塙団右衛門直之」(ばんだんえもんなおゆき)を討ち取る武勲を挙げます。その後、広島の「福島正則」(ふくしままさのり)が改易(領地を没収し身分を奪う刑罰)されると、広島藩初代藩主となりました。
本刀の制作者である来国光は、「来国俊」(らいくにとし)の嫡子というのが通説ですが、他に来国俊の次男、来国俊の弟、来国俊の孫、「来国行」(らいくにゆき)の子とする説もあります。来国光は鎌倉時代末期から南北朝時代初期に京都で活躍した名工で、来派の中で最も作刀していた期間が長いのが特徴です。本刀は来派の伝統的な作風を示しており、国光の初期の作品であると鑑定されます。