本太刀(たち)は、1624年(寛永元年)2月、江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)から伊達政宗(だてまさむね)に下賜された物。「徳川実紀」(とくがわじっき:江戸幕府編纂の史書)及び「剣槍秘録」(けんそうひろく:仙台伊達家所蔵の刀剣目録)にもその旨が記載されています。第12代・本阿弥光常(ほんあみこうじょう)の折紙付きです。
本太刀の作者は備前国(びぜんのくに:現在の岡山県東部)長船派(おさふねは)の元重(もとしげ)。鎌倉末期から南北朝時代に活躍しました。
元重は、同時代に活躍した兼光(かねみつ)・長義(ながよし/ちょうぎ)など長船直系の刀工と異なり、畠田守家(はたけだもりいえ)を祖とする系統の刀工と考えられています。
貞宗三哲(さだむねさんてつ)のひとりとされており、最上大業物(さいじょうおおわざもの)に選ばれている、秀逸な刀工です。長光(ながみつ)・兼光・長義・元重の4人は、長船派の名工として、「長船四天王」(おさふねしてんのう)と称されています。
本太刀の姿(すがた)は、身幅尋常(みはばじんじょう)、中鋒/中切先(ちゅうきっさき)。鍛え(きたえ)は板目(いため)に杢目(もくめ)、流れ肌を交えて、地沸(じにえ)よく付き、地景(ちけい)細かに入り、地斑(じふ)を交え、乱映り(みだれうつり)が立っています。
刃文(はもん)は小湾れ(このたれ)を基調に小丁子と小互の目を交え、匂(におい)深く、金筋(きんすじ)・砂流し(すながし)が掛かっているのが特徴です。帽子(ぼうし)の表は浅く湾れ調で丸くわずかに返り、裏は直調(すぐちょう)で先が尖り心に小丸(こまる)に返っています。茎(なかご)は大磨上(おおすりあげ)の鑢目筋違い(やすりめすじかい)。目釘穴(めくぎあな)は3つですが、額銘(がくめい)のためひとつ塞がっています。匂口(においぐち)の明るく冴えた、優れた出来映えの1振です。