筑前国(現在の福岡県北西部)の「左文字」(さもんじ)は、南北朝時代初期の刀工。それまでの九州物は、どちらかと言えば野趣に富んだ作域を示していましたが、「左文字」はそこから大きく脱皮し、洗練された新しい作風を生み出したことにより、南北朝時代において大きな繁栄を見せました。
吉弘は、「左文字」の子、またはその門弟であったとも伝えられており、銘鑑には、正平二十三(1368年)年紀の作品が挙げられています。
本太刀は、同作中の中で唯一現存する在銘作。備前岡山藩(現在の岡山県岡山市)の第3代藩主「池田継政」(いけだつぐまさ)が家督を継ぐときに、8代将軍「徳川吉宗」(とくがわよしむね)より拝領した刀で、「徳川実紀」にも所載されています。
また、本太刀の作柄は、健全で刃が明るく冴えているだけでなく、ずっしりとした重厚感も感じられる刀となっています。「本阿弥光忠」(ほんあみみつただ)の折紙が付属する同工の傑作です。