重要文化財「稲葉志津」は、「稲葉道通」(いなばみちとお)が所持していたことにちなんで名付けられています。稲葉道通は、父が「稲葉重道」。四男でありながらも家督を継ぎ、1600年(慶長5年)「関ヶ原の戦い」では東軍として功を立て、田丸藩(現在の三重県度会郡)初代藩主となった人物です。
本短刀は、稲葉家に伝来し、「徳川家康」に献上され、紀伊藩主「浅野幸長」に下賜。浅野幸長の死後、再び徳川将軍家へ献上され、福岡藩「黒田家」に伝わり、現在は個人蔵となっています。
地鉄(じがね)は、板目肌で棟寄り柾交じり、よく沸え、刃文は出入り激しく変化に富む湾れ(のたれ)に互の目(ぐのめ)が交じり、足・葉入る、沸深く匂口冴えた名品。
刀剣鑑定家「本阿弥光徳」によって、「志津三郎兼氏」が制作したと極められ、朱銘が入れられていましたが、現状ではほとんど剥落しています。志津三郎兼氏は、大和国手掻派の出身で、相州伝を取得し、美濃国(現在の岐阜県)志津に移住して、「美濃伝」の礎を築きました。