「上部当麻」は、「伊勢神宮」の権禰宜(ごんねぎ:神職の階級)で、御師(おんし:参詣者の参拝・宿泊を世話する者)でもある「上部貞永」(うわべさだなが)が所持していた短刀です。のちに、「徳川家康」の家臣「城昌茂」(じょうまさもち)が、この上部当麻を買い上げました。城昌茂の通称を「和泉守」(いずみのかみ)といったことから、別名を「城和泉当麻」とも呼ばれることもあります。
さらに上部当麻は、徳川家康の孫にあたる出雲国(現在の島根県)松江藩藩主の「松平直政」(まつだいらなおまさ)の手に渡りました。1666年(寛文6年)に松平直政が死去すると、松平直政の子「松平綱隆」(まつだいらつなたか)が、4代将軍「徳川家綱」へと上部当麻を献上します。
1685年(貞享2年)、「徳川家綱」の娘「鶴姫」が紀伊国(現在の和歌山県)紀州藩藩主「徳川綱教」(とくがわつなのり)に嫁ぐことになりました。徳川綱吉は、その際に徳川綱教の父「徳川光貞」(とくがわみつさだ)へ上部当麻を下賜。このような流れで、上部当麻は、江戸時代を通じて紀州藩徳川家へと伝来していったのです。