浮田志津は、備前国(現在の岡山県)の戦国大名「宇喜多秀家」(うきたひでいえ)の短刀です。浮田志津の名前は、宇喜多家が「浮田」とも書かれることがあるため「浮田志津」と命名。1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」で、宇喜多秀家が「徳川家康」軍に敗れた際に、浮田志津は徳川家康のもとへ渡ったと言います。
1628年(寛永5年)に、「本多忠刻」(ほんだただとき)の娘「勝姫」が、備前国岡山藩藩主「池田光政」との婚約が成立。本多忠刻の正室「千姫」は、2代将軍「徳川秀忠」の娘であるため、その娘の勝姫は徳川秀忠の孫にあたります。そこで徳川秀忠は、孫の婚儀の祝いにと、池田光政に浮田志津を贈りました。
浮田志津は、こうして代々池田家に伝わっていき、明治維新のあとは「明治天皇」へ献上。そのような経緯から、現在、浮田志津は「旧皇室御物」となり、宮内庁の「三の丸尚蔵館」が所蔵となっています。