「日光助真」は、1609年(慶長14年)、「徳川家康」の十男「徳川頼宣」(とくがわよりのぶ)が、「加藤清正」の娘である「八十姫」(やそひめ)と婚約した際に、加藤清正から徳川家康へと献上された太刀です。
その後、本太刀は徳川家康の愛刀となり、その没後には、徳川家康を祭神として祀る「日光東照宮」(現在の栃木県日光市)に納められました。
本太刀を制作した「助真」は、備前国(現在の岡山県東南部)の「福岡一文字派」に属し、鎌倉時代に活躍した名工。鎌倉幕府の7代将軍「惟康親王」(これやすしんのう)の招きによって鎌倉へ下向したことから、「鎌倉一文字」の異名を取っています。
本太刀は、表の刃文が高低差のある「大丁子乱」(だいちょうじみだれ)、裏側は、高低差があまり見られない大丁子乱であることが特徴。最も華麗な丁子乱を焼くことで名高い助真の作風をよく示している1振です。