「大左文字」は、筑前国博多(現在の福岡県博多市)の刀鍛冶である「安吉」が作った太刀です。この安吉は、銘に「左」とだけ刻むことで知られる刀工でした。現在、号の由来は明らかになってはいません。しかし、安吉の作った刀剣の中でも長大であることから、「大左文字」と呼ばれるようになったのではないかと考えられています。
もともと、大左文字を所持していたのは、「徳川家康」でした。1611年(慶長16年)に、徳川家康は、京都の「二条城」(京都市中京区)で「豊臣秀吉」の遺児「豊臣秀頼」と会見しています。その際に、徳川家康から豊臣秀頼へ大左文字は贈られました。
しかし1615年(元和元年)の「大坂夏の陣」のあと、再び大左文字は徳川家康のもとに戻っています。1625年(寛永2年)に、3代将軍「徳川家光」から、尾張藩藩主「徳川義直」へと下賜。以来、大左文字は尾張徳川家の重宝となりました。現在は、「徳川黎明会」の所蔵で、愛知県名古屋市にある「徳川美術館」がこの大左文字を収蔵しています。