本打刀(うちがたな)は、尾張国(現在の愛知県西部)の戦国武将「水野政重」(みずのまさしげ)が所有していた刀剣。号の由来は、水野政重の通称「太郎作」に因んで名付けられました。水野家は、「織田信長」や「徳川家康」に従ったとされる家系で、1570年(元亀元年)の「姉川の戦い」にも従軍。水野政重はこの姉川の戦いのときに、本打刀で敵将を兜ごと叩き切ったと言われています。水野政重から徳川家に献上されたあと、加賀藩前田家に重宝として伝来しました。
本打刀を作刀した刀工「正宗」(まさむね)は、相模国(現在の神奈川県)の刀工で、日本で最も有名な刀工のひとりです。「豊臣秀吉」が、贈答や恩賞などに正宗の刀剣を多く用いたことから、「全日本刀工第一」の名工と称され、「享保名物帳」(きょうほうめいぶつちょう)には「天下三作」(てんがさんさく)のひとりとして名を連ねました。
本打刀は、板目肌(いためはだ)に地沸(じにえ)が細かく付き、地景がしきりに入っている地鉄(じがね)に、刃文(はもん)は、湾れ(のたれ)に互の目(ぐのめ)が交じり、足、葉よく入り、匂(におい)深く、沸(にえ)がやや荒めに叢立ち、金筋がかかり、正宗の作風が良く表われています。刃長(はちょう)は71.2cmですが、他に伝わる、正宗の刀剣と同じく磨上げられており、銘はありません。