「刀 銘 池田光忠」(名物:池田光忠)は、水戸徳川家の家宝の1振です。 元々は、摂津国(大阪府)の池田城主「十河一存」(そごうかずまさ)が所有していました。
十河一存は、三好政権を樹立した戦国武将「三好長慶」(みよしながよし)の弟。 「鬼十河」という異名を取るほど武勇に優れた人物でしたが早世したため、養子の「十河存保」(そごうまさやす)がその跡を継ぎました。
十河存保は、「織田信長」や「豊臣秀吉」に従い、九州平定に従軍。しかし、豊後国(大分県)で行なわれた「戸次川の戦い」で、島津軍に敗れて討ち死。その後、この刀は「徳川家康」から水戸徳川家「徳川頼房」に伝来したと言われていますが、その後の経緯については、定かではありません。
「光忠」とは、鎌倉時代中期に活躍した、備前長船派の祖。「蛙子丁子乱れ」(かわずこちょうじみだれ)など、華やかな刃文を得意としました。
本刀は、1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」によって焼失したと言われていましたが、2017年(平成29年)に「徳川ミュージアム」(現在の茨城県水戸市)に現存していることが判明。焼身の状態ですが、「光忠」の銘を確認することが可能です。