国宝「短刀 銘 国光」(名物:会津新藤五)を制作したのは、「新藤五国光」(しんとうごくにみつ)です。新藤五国光は、鎌倉時代後期の相模国(現在の神奈川県)刀工。相州伝の祖と言われる名工です。
本短刀は、地鉄(じがね)は小板目肌に杢目が交じり、よくつんで、地沸厚く、地景多く入り、刃文は匂深く沸よくつき、金筋かかり、焼き出しをやや細く、次第に広い直刃を巧みに焼き、力強さがある逸品。国光の作刀の中でも白眉と言われ、特に秀逸で、最高傑作との呼び声も高い1振です。
この短刀を愛刀としていたのは、戦国武将「蒲生氏郷」(がもううじさと)。蒲生氏郷は、「織田信長」、「豊臣秀吉」に仕え、「九州征伐」、「小田原征伐」の功により会津420,000石(のち920,000石)を領した人物。この刀剣に会津という名前が付いているのは、これが所以です。
蒲生氏郷は、この短刀を嫡男「蒲生秀行」に伝えましたが、孫の「蒲生忠郷」が所領を没収され、加賀藩主「前田利常」に売却。売却額は、小判100枚、現在の価値にして約1憶2,000万円で、新藤五国光の刀剣が当時から貴重であったことがうかがい知れます。
「前田利常」はこれを江戸幕府5代将軍「徳川綱吉」に献上。徳川将軍家の重宝を経て、現在はふくやま美術館に寄託されています。