本太刀は、鎌倉時代初期に備前国(現在の岡山県東部)で活動した刀工「則宗」が作刀した国宝の太刀です。附属する太刀拵は、江戸時代初期頃に制作されたと推測されます。
本太刀の制作者である則宗は、「福岡一文字」の祖であり、「後鳥羽上皇」が設けた「御番鍛冶」の 1人として知られる名工です。
造りは鎬造り。庵棟で小鋒/小切先が詰まっており、腰反り高く、踏張り強く、地鉄は小板目肌が詰み、乱映りが立ち、刃文は丁子乱れ主体で細かに沸付き小乱れ、小丁子交じり、足と葉がよく入り、金筋かかっています。目釘孔の上棟寄り側には、細い鏨の2字銘。
本太刀は、1646年(正保3年)6月6日に「徳川徳松」(のちの5代将軍「徳川綱吉」)が東京都千代田区「日枝神社」へ初宮参りした際に寄進した太刀です。1910年(明治43年)4月20日に重要文化財指定、1951年(昭和26年)6月9日には国宝に指定され、現在でも日枝神社が所蔵しています。