「火車切広光」(かしゃぎりひろみつ)は戦国時代、越後国(現在の新潟県)を中心に勇名を馳せた「上杉謙信」(うえすぎけんしん)ゆかりの脇差で、上杉家に伝来しました。なお、火車(かしゃ)とは、生前に悪行を重ねた者の葬儀の際、暴風雨や雷雨を起こして亡骸を奪っていくという老猫のような姿をした妖怪。火車切広光は、その妖怪を斬った脇差とされています。
火車切広光を作刀したのは、南北朝時代に相模国(現在の神奈川県)で相州鍛冶の頭領として活躍した名工「廣光/広光」(ひろみつ)です。火車切広光は「上杉家御手選三十五腰」(うえすぎけおてえらびさんじゅうごよう)という、上杉家の名刀目録にも掲載された秘蔵の1振。鎌倉時代の脇差と比べると身幅が広く、茎(なかご)が短い南北朝時代の様式を伝える物となっています。
また、作刀した広光は、「皆焼」(ひたつら)という、刀身全体に焼きが入る刃文を創始した刀工とされていますが、火車切広光の刃文も例外ではありません。丁子(ちょうじ)や互の目(ぐのめ)が混ざり、華やかな皆焼のなかに沸(にえ)が見られます。目釘孔が2つある茎には「相模国住人廣光 康安二年十月日」と銘が切られ、刀身の表に「不動明王」(ふどうみょうおう)を意味する梵字と、不動明王の武具である「三鈷柄剣」(さんこづかけん:魔除けとなる密教の法具のひとつ)が彫られ、裏には「毘沙門天」(びしゃもんてん)を意味する梵字と「護摩箸」(ごまはし:祈祷の際に用いる鉄製の箸)の彫物が存在。
さらに、上杉謙信が愛用していた当時のまま、草花文(そうかもん)の金具を用いた「黒蝋色塗鞘小さ刀拵」(くろろいろぬりさやちいさがたなこしらえ)も残され、往時の姿を現代まで伝えています。