「地蔵行平」(じぞうゆきひら)は、江戸時代の名刀目録「享保名物帳」(きょうほうめいぶつちょう)にて、「御物 地蔵」(ぎょぶつ じぞう)の名で掲載された太刀(たち)です。もとは、室町幕府6代将軍「足利義教」(あしかがよしのり)が所有。のちに、北条氏2代当主「北条氏綱」(ほうじょううじつな)の手に渡りました。1581年(天正9年)には、戦国大名「細川忠興」(ほそかわただおき)が「明智光秀」(あけちみつひで)へ贈ったとされます。その後、徳川家の所蔵となりましたが、1657年(明暦3年)の「明暦の大火」(めいれきのたいか)によって焼失しました。
地蔵行平には、「行平作」の三文字の銘(めい)が切られていたとされており、豊後国(現在の大分県)の名工「行平」(ゆきひら)の作刀とされます。行平は謎の多い人物で、平安時代末期から鎌倉時代初期に「後鳥羽上皇」(ごとばじょうこう:82代・後鳥羽天皇の譲位後の尊号)が招いた「御番鍛冶」(ごばんかじ)のひとりとして活躍。名工「僧定秀」(そうさだひで)の門人だったと考えられています。刀身彫刻にも定評のあった行平は、地蔵行平の鎺元(はばきもと)に地蔵尊(じぞうそん)の彫刻をほどこしており、それが地蔵行平の名の由来です。
「永青文庫」(東京都文京区)には、国宝「古今伝授の太刀」(こきんでんじゅのたち[古今伝授行平:こきんでんじゅゆきひら])、「名古屋市博物館」(愛知県名古屋市瑞穂区)にも特別重要刀剣「太刀 銘 豊後国行平」(たち めい ぶんごのくにゆきひら)が存在。いずれも地蔵菩薩や不動明王、毘沙門天などの彫刻が施されています。
※地蔵行平の刀剣イラストは、文章情報を参考に描き起こしたイメージイラストです。