初代「孫六兼元」(まごろくかねもと)は、文明年間(1469~1487年)に活躍した美濃国赤坂(現在の岐阜県大垣市)の刀工であり、本名は「清関兼元」(せいかんかねもと)です。祖父も刀工で、父の名が「六郎左衛門」(ろくろうざえもん)だったため、孫六と名乗りました。
孫六兼元という名が全国区となったのは、美濃国関(現在の岐阜県関市)で活躍した2代目孫六兼元のとき。「関の孫六」(せきのまごろく)とも呼ばれ、1521~1531年(大永元年~享禄4年)ごろの物が2代目の作刀とされています。孫六兼元は、初代「和泉守兼定」(いずみのかみかねさだ)のもとで修行し、兄弟弟子の2代目和泉守兼定とともに認められた、関における刀工の双璧。その名声は、戦国時代から江戸時代にかけて広がりました。
また、2代目孫六兼元は、「四方詰め」(しほうづめ)という新たな鍛刀(たんとう)法を編み出したことで知られています。やわらかい鉄の外側の四方を硬い鉄で詰め、日本刀に粘りを出すことにより「折れず、曲がらず、よく斬れる」と言われたのです。常に戦いに身を置いた戦国武将達にことさら人気が高く、江戸時代の刀剣評価書では最上大業物(さいじょうおおわざもの)に格付けされています。さらに「関の孫六の三本杉」と呼ばれる、ノコギリ状に山が3つ連なった独特な刃文は関の孫六の特徴とされました。
作例としては関市指定文化財の「刀 銘 兼元作」(かたな めい かねもとさく)、黒田家旧蔵の「刀 銘 兼元」(かたな めい かねもと:大仙兼元[だいせんかねもと])などが存在。なお、刀剣ワールドでも、三本杉の力強い刃文を持つ「刀 銘 兼元(孫六)」をはじめ、孫六兼元の作刀を複数所蔵しています。
孫六兼元の関鍛冶としての技術は長く継承され、元禄期(1688年)より子孫が「孫六」を屋号として代々襲名。刃物ブランドとして現在に続いています。