「次郎太刀」(じろうたち)は、「熱田神宮」(あつたじんぐう:愛知県名古屋市熱田区)に奉納されている2振の剛刀、「真柄の大太刀」(まがらのおおだち)のひとつです。2振の真柄の大太刀は、越前国(現在の福井県北東部)の怪力無双の豪傑「真柄直隆」(まがらなおたか)と、その嫡男「真柄隆基/直基」(まがらたかもと/なおもと)の物だったとされ、長い大太刀を「太郎太刀」(たろうたち)、短い大太刀を次郎太刀と呼び分けています。
「織田信長」・「徳川家康」連合軍と「浅井長政」(あざいながまさ)・「朝倉義景」(あさくらよしかげ)連合軍が戦った1570年(元亀元年)の「姉川の戦い」(あねがわのたたかい)で、朝倉軍が敗走した際、真柄父子も奮迅の働きののち討死。大太刀は合戦直後、織田信長に関係する人物によって熱田神宮へ奉納されたのです。
次郎太刀の茎(なかご)へ入れられた朱銘(しゅめい)は、「千代鶴国安」(ちよつるくにやす)。この銘(めい)は、熱田神宮へ奉納後に研師(とぎし)が次郎太刀を研磨した際、刀工「来派」(らいは)のなかでも「越前来」(えちぜんらい)と呼ばれた「越前千代鶴派」(えちぜんちよづるは)の祖・千代鶴国安の作と見極めて入れたものです。千代鶴国安は、南北朝時代に千代鶴というめでたい名前で喜ばれた人気の刀工でした。
なお、次郎太刀の刀身(とうしん)は鎬造り(しのぎづくり)で庵棟(いおりむね)になっており、重ねの厚い造込みをしています。茎は長めの78㎝で、地鉄(じがね)は流れごころのある板目肌(いためはだ)。刃文(はもん)は美しい互の目乱れ(ぐのめみだれ)に丁子(ちょうじ)が交じって、匂口(においぐち)は締まり、小沸(こにえ)がよく付いています。熱田神宮へ共に奉納されている太郎太刀ほど大きくはありませんが、それでも全長244.6cm、拵(こしらえ)を含めると総長は267cm。重量は刀身のみで約5kg、拵を含め約8kgとされ、剛刀であることには違いありません。