本短刀は、南北朝時代に相模国(現在の神奈川県)で活躍した刀工「貞宗」(さだむね)の手による短刀。豊臣秀吉が、甥「豊臣秀保」(とよとみひでやす)より献上され、「豊臣秀頼」(とよとみひでより)に伝わるも、1608年(慶長13年)、「徳川秀忠」(とくがわひでただ)に贈られます。そののち、紀州徳川家などを転々とし、尾張徳川家に代々伝来しました。
現在は愛知県の徳川美術館が所蔵。号の由来はもともと堺の豪商「奈良屋宗悦」(ならやそうえつ)が所有していたことに因みます。なお、豊臣秀吉は多くの名刀を蒐集(しゅうしゅう:趣味・研究のために集めること)しており、刀剣をランク付けし、一之箱から七之箱に分けて収納していました。この奈良屋貞宗は一之箱に納められたとされています。
本短刀の作者・貞宗は、「天下三作」のひとりに数えられる名工・正宗に師事し、相州伝の作風を踏襲。貞宗の在銘作は存在せず、本短刀も同じく無銘の極めです。姿は平造りで、差表(さしおもて:刀の刃を上にして腰に差したときに外側になる面)に素剣(そけん/すけん:不動明王の化身である剣の図)と梵字(ぼんじ)、差裏には護摩箸(ごまばし)の彫刻が施されています。小板目肌が詰んで、地沸(じにえ)の厚く付いた鍛えは見事であり、刃文(はもん)は湾れに小乱れが交じるもの。帽子は湾れ込み、深く返っています。