本短刀は、名工と称された相模国(現在の神奈川県)の刀鍛冶「正宗」(まさむね)が鎌倉時代末期に作刀した短刀です。正宗の作品中、最も正宗作か否かで鑑定判断が分かれた歴史を持つ、迷刀でもありました。本短刀は、加賀藩2代藩主「前田利常」(まえだとしつね)が、正宗の作品だと思って購入した短刀です。
しかし、無銘(むめい)の作であったため、加賀藩が重用した日本刀鑑定家「本阿弥光甫」(ほんあみこうほ)に鑑定を依頼したところ、正宗で間違いないとの回答を得ました。さらに確証を得ようと、本阿弥宗家にも鑑定を依頼してみると、肥後国(現在の熊本県)「延寿国資」(えんじゅくにすけ)の作だと判定。納得のいかない前田利常は、さらに鑑定を依頼すると今度は「行光」(ゆきみつ:正宗の父とされている人物)との回答を得てしまい、3回の鑑定結果がバラバラになってしまうのです。次こそはと1681年(延宝9年)に鑑定を行なうと、ようやく正宗だと判定を得て、金700枚の折紙を付けたという逸話を持ちます。
前田利常は、隠居後に加賀国小松(現在の石川県小松市)に住まいを移したことから「小松中納言」と呼ばれました。また、正宗であることにこだわったこの短刀は、小松の地名に因んで「小松正宗」と呼ばれることとなり、現在は「佐野美術館」(現在の静岡県三島市)に所蔵されています。