本打刀「加藤国広」は、「加藤」姓と言えばこの武将と、多くの人が思い浮かべるほど有名な「加藤清正」(かとうきよまさ)が所持していました。
加藤清正の娘「八十姫」(やそひめ)は、「徳川家康」の末子「徳川頼宣」(とくがわよりのぶ)のもとへ輿入れしますが、このときすでに加藤清正は亡くなっていたことから、加藤清正が所持していた他の日本刀と共に、加藤国広も嫁入り道具として持参。その後、徳川頼宣が紀伊徳川家藩主となったため、幕末まで紀伊徳川家の家宝として大切に受け継がれてきました。 近代に入って売りに出された際に三井家が購入したことから、現在も「三井記念美術館」で観ることができます。
加藤国広は、2尺2寸9分(約69㎝)の打刀で、切られた銘は「国広」。安土桃山時代に活躍した刀工「堀川国広」(ほりかわくにひろ)が、新進気鋭の若手だった頃に手掛けた作品です。
通常、長い歴史を刻んできた日本刀を持つのが、武将としては一般的だった時代に、加藤清正は若手である国広の新刀を買い求めたことになります。