刀剣乱舞にも刀剣男士として登場する「加州清光」。本来の「加州清光」は、明治維新を3年遅らせたと言われる「池田屋事件」の際、新選組一番組長であった「沖田総司」(おきたそうじ)が帯びていた日本刀として知られています。
過激な長州藩士(長州藩:現在の山口県)達が、強風の日に御所に火をかけ、火事の騒ぎに乗じて参内してきた京都守護職「松平容保」(まつだいらかたもり)を殺し、さらには「孝明天皇」(こうめいてんのう)を長州へさらうという襲撃を計画。これを事前に察知したのが、京の治安を守る新選組です。
1864年(元治元年)6月5日、窓を閉め切った旅籠「池田屋」を見つけると、新撰組局長「近藤勇」(こんどういさみ)を筆頭に、わずか隊士5人で20人の過激派長州藩士らのなかへと切り込んでいきました。このとき、沖田総司が所持していた日本刀が加州清光で、狭い屋内での乱闘の際、3度の突きが1度に見えるほど速いと言われた沖田総司の三段突きは非常に効果的だったと考えられています。しかし激闘の末、最後には加州清光の帽子が折れたと、のちに近藤勇が郷里に宛てて送った書簡に記しました。
「帽子」とは、鋒/切先(きっさき)に現れる刃文の部分にあたり、沖田総司が狭い室内での激闘で突きを多用して戦ったことが分かる逸話です。