本刀は、鎌倉時代に作られたとされる大太刀(おおだち)で、重量は24㎏、刃長は216.6cm、全長は324cmもの長さを誇る日本最大級の大太刀の1振です。刃長に対して茎(なかご)が長いことから、実際に用いようとする場合は、長巻(ながまき)や薙刀(なぎなた)のように使用されるものと考えられます。
無銘(むめい)であり、作者不明の大太刀ですが、刃文(はもん)や作風から、備前系の刀工の手による作ではないかと考えられている他、平安時代の刀工「三条宗近」(さんじょうむねちか)や、鎌倉時代の刀工「来国俊」(らいくにとし)の手による作であるという伝承も残されています。
元重ね(もとかさね)が2㎝ほどもある、分厚い刀身(とうしん)をしていますが、鋒/切先(きっさき)を残し、刀身の中心から上側の鎬地(しのぎじ)を薄くした「鵜首造り」(うのくびづくり)という造込み(つくりこみ)となっているのが特徴です。
板目(いため)に杢目(もくめ)が交じった鍛肌(きたえはだ)に淡い映り(うつり)が現れており、刃文は、下半分は焼かれず、中ほどから出現します。湾れ(のたれ)調に互の目(ぐのめ)や小丁子(こちょうじ)などが交じり、さらに、飛焼(とびやき)や金筋(きんすじ)、砂流し(すながし)がかかるなど、刃中の働き(はちゅうのはたらき)も盛んな、豪壮な1振です。
重要文化財の登録名は「山金造波文蛭巻大太刀」(やまがねづくりはもんひるまきのおおだち)とされており、大太刀には「山金造波文蛭巻太刀拵」(やまがねづくりはもんひるまきたちこしらえ)が附属しています。
栃木県日光市にある「日光二荒山神社」が所蔵。祢々切丸という号(ごう)は、日光山の中にある「ねねが沢」に棲み、人に恐れられていた化け物「祢々」(ねね)を、本刀がひとりでに抜け出し、切り付けて退治したという伝承が由来となっています。