「治金丸」(じがねまる)は、15世紀に作刀されたとされる国宝の脇差(わきざし)で、「千代金丸」(ちよがねまる)、「北谷菜切」(ちゃたんなきり/ちゃたんなーちりー)と共に、琉球王国(現在の沖縄県)の王家「尚」(しょう)家に伝来した宝剣です。
琉球王国の歴史書「球陽」(きゅうよう)によると、1522年(大永2年)、宮古島の豪族「仲宗根豊見親」(なかそねとぅゆみゃ)から「尚真王」(しょうしんおう)に献上されたとしています。異説では、八重山島与那国(現在の八重山列島与那国島)の首領討伐を命じられた際に、仲宗根豊見親が尚真王より本脇差を借り受け、討伐後に返上したとされるのです。
本脇差には「黒漆塗脇差拵」(くろうるしぬりわきざしこしらえ)が付属。「打刀拵」(うちがたなこしらえ)の形式で、鞘(さや)は黒漆塗、柄(つか)は鮫皮(さめかわ)が施されています。
本脇差は平造り(ひらづくり)で、先反り(さきぞり)の付いた姿(すがた)をしており、表裏とも二筋樋(ふたすじひ)を掻き流しているのが特徴です。鍛肌(きたえはだ)は、木材の板のような模様をした「板目肌」(いためはだ)で、腰が開いた互の目(ぐのめ)を基調とする刃文(はもん)は、尖り刃(とがりば)・耳形乱(みみがたみだれ)などが交じって沸(にえ)付いており、帽子(ぼうし)は乱れ込んだもの。無銘(むめい)で、作者は不明とされていますが、3代目「信国」(のぶくに/応永信国[おうえいのぶくに]とも)の作と観ぜられています。