本刀「抜丸」(ぬけまる)は、平家に伝わる宝剣とされます。作刀者は伯耆国(現在の鳥取県中西部)の「大原真守」(おおはらのさねもり)とされますが、はっきりと分かっていません。また本刀は、抜丸と名付けられる以前は、木の葉を枯らした逸話から「木枯」(こがらし)と言いました。
平安時代に「平忠盛」(たいらのただもり:平清盛の父)が、任地の伊勢国(現在の三重県北中部)にて「猟に持てば必ず獲物を捕ることができる」刀だとして本刀を買い取ったことがはじまりです。そののち、平忠盛が本刀を携え館で昼寝をしていると、すぐ近くの池から大蛇が襲いかかります。そこで本刀は鞘(さや)を抜け、大蛇を見事退治したことから、木枯から「抜丸」へと名を変えることになったのです。平忠盛はその後、本刀を次男「平頼盛」(たいらのよりもり)に譲ったとされ、平頼盛はこれを持ち「保元の乱」にて活躍したと言います。
平家が敗北したあと本刀は源氏に伝わり、そののち足利将軍家の宝刀となりました。1432年(永享4年)に室町幕府の御所で一度紛失し見つかったものの、そのあと再び紛失。以降、行方知れずのまま現在に至ります。
※抜丸の刀剣イラストは、文章情報を参考に描き起こしたイメージイラストです。