「短刀 銘 洛陽住藤原国広 慶長十五仲夏日」は、山城国(現在の京都府)で活躍した刀工「堀川国広」(ほりかわくにひろ)の手による晩年期の短刀です。反りはほとんどなく、茎(なかご)の指表に「洛陽住藤原国広」の長銘が、裏に「慶長十五仲夏日」の年紀銘が彫られています。
本短刀は身幅(みはば)が広く、堀川国広の作刀にしては珍しい直刃(すぐは)の刃文が破綻なく焼かれたもの。地鉄(じがね)は板目肌(いためはだ)が肌立ちザングリとしていて、堀川派の特色がよく現われた力強い作品です。表裏にバランス良く施された刀身彫刻も特徴的で、表には四橛(しけつ:密教の仏具で、修法檀の四隅に立てて結界を表わすもの。橛とは杭のこと)が、裏には護摩箸と蓮台、鍬形が彫られています。
作者の堀川国広は、古刀期の実戦向きの質実剛健な作風から、新刀期の桃山文化が反映された華やかな作風への転換期に活躍した刀工で、華やかでいながらも実戦に向いた刀を多く作刀したことから「新刀の祖」と呼ばれる、安土桃山時代から江戸時代前期である「慶長新刀」(けいちょうしんとう)を代表する刀工のひとり。武家の出身で、日向国(現在の宮崎県)の伊東家に仕官していましたが、島津家により主家が滅ぼされたのちは諸国放浪をしながら刀工を続けていました。
本短刀は京都の一条堀川に定住してから作刀された晩年の作品で、80歳の頃に作られました。