「正繁」は、播磨国姫路(はりまのくにひめじ:現在の兵庫県姫路市)の刀工。同地にある手柄山のふもとに住んだことから「手柄山」を称するようになりました。1788年(天明8年)、陸奥白河藩(むつしらかわはん:現在の福島県白河市)第3代藩主「松平定信」(まつだいらさだのぶ)に知行500石でお抱え鍛冶となり、江戸にて鍛刀するようになります。
そののち、1803年(享和3年)に甲斐守を受領。定信より寵愛を受けた正繁は晩年に「神妙」の2字を賜り、自身が納得のいくでき映えとなった作品の銘に切っていたとされています。
本刀は正繁が得意とする濤瀾(とうらん)乱れの作風がよく現れた刀。その刃文は大互の目乱れに匂深く、小沸(こにえ)もよく付いており、足が太く入っています。