「源正雄」は「美濃国」(みののくに:現在の岐阜県南部)の生まれで、本名を「鈴木次郎」(すずきじろう)と称しました。江戸に移って下谷御徒町(したやおかちまち:現在の東京都台東区上野)に住し、新々刀期の刀工の中でも群を抜いた腕前であった「源清麿」(みなもとのきよまろ)に師事した良工です。
1857年(安政4年)、江戸幕府が箱館(はこだて:現在の北海道函館市)での「五稜郭」(ごりょうかく)の築城、同じく箱館・亀田郡尻岸内村(かめだぐんしりきしないむら)における製鉄所の建設を開始したことに伴い、松前藩(まつまえはん:現在の北海道松前郡)に招かれたため、箱館の地で鍛刀していました。
正雄の作風は、清麿一門の中で最も豪壮な刀であり、反りは浅くて身幅は広く、鋒/切先が延びた強い姿です。また、相州伝風の荒沸(あらにえ)本位の乱刃(みだれば)を焼き、とりわけ大互の目乱(だいぐのめみだれ)で焼きの頭(かしら)が角張った、頭の低い焼刃(やきば)を得意としています。
また、正雄の作刀は、1853年(嘉永6年)から1866年(慶応2年)の12年間のみであったことから、本刀も貴重な1振であると言えるのです。