本刀の作者である2代「河内守国助」は初代の長男で、初代と3代のあいだに位置することから俗に「中河内」(なかかわち)と呼ばれています。1648年(慶安元年)に「河内守」を受領した名工。兄弟には、「肥後守国康」(ひごのかみくにやす)、「武蔵守国次(国光)」(むさしのかみくにつぐ[くにみつ])がいます。
作柄は、やや先身幅が細く、しっかりとした優しい姿で、自身が考案した「拳形丁子」(こぶしがたちょうじ)という乱刃(みだれば)を焼くのが特徴。「一文字」(いちもんじ)系統に見られる華美な刃文を得意としたことから「新刀一文字」とも称され、人気を博しました。
その子孫は、現在も大阪の石切釼箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)前で刃物屋を営業しており、現代刀匠の「河内國平」(かわちくにひら)も活躍しています。