鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて活躍した「大宮派」には、京の大宮鍛冶と備前国(びぜんのくに:現在の岡山県南東部)の大宮鍛冶がいました。その始祖となった「国盛」(くにもり)が、鎌倉時代後期に山城国(やましろのくに:現在の京都府南部)猪熊(いのくま)大宮から、備前国に移住したことがその呼称の由来になったと言われています。
「延秀」の作刀時期は、鎌倉時代末期に当たる徳治年間(1306~1307年)頃として挙げられている同銘の刀工に該当すると推測されるため、国盛と共に大宮鍛冶の祖であるとも考えられています。
太刀は、細身で輪反りの深い体配や、地刃の出来映えが上品で整っている様が窺え、京気質の出来口がよく示されているのです。延秀には、在銘作はあまり見られないため、非常に貴重な1振だと言えます。