鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した肥後国(ひごのくに:現在の熊本県)の武将「菊池武光(きくちたけみつ)」は、「後醍醐天皇(ごだいごてんのう)」の皇子である「懐良親王(かねよし/かねながしんのう)」を征西将軍(せいせいしょうぐん:征西大将軍とも)に迎え、南朝方として室町幕府と戦い、一時は九州を平定することに成功。「百戦百勝」、「戦いの神様」と称された武光は、菊池氏15代当主にして、その最盛期を築いたと言っても過言でありません。
そして、その武力を支えたのが本刀の作者であると見極められ、同氏に仕えていた「延寿」派の刀工達でした。同派の日本刀は、単なる武器として高い評価を受けているだけでなく、優れた美術品としても現代に伝えられているのです。また、延寿派の刀工は、菊池氏が考案した特殊な様式を用いた「菊池槍」の制作にも携わっています。
本刀は身幅がやや広く、中鋒/中切先で反りが深く、板目肌が詰む直刃調を示す1振です。大磨上(おおすりあげ)のため無銘となっていますが、南北朝時代における延寿派の特色がよく表れています。