作者の「陸奥守忠吉」は、「近江大掾忠広」(おうみのだいじょうただひろ)の長男で、本家3代目を継いでいます。活躍年代は万治年間(1658~1661年)頃で、その位列は、「新刀最上作」(しんとうさいじょうさく)及び「最上大業物」(さいじょうおおわざもの)に列せられた名工のひとりです。
作風は、初代・忠吉を思わせる鋒/切先の伸びに豪壮な姿が多く、刃文は直刃(すぐは)、及び足長丁子(あしながちょうじ)を得意としています。
本刀は、陸奥守忠吉の最上傑作品と評されており、藩政時代に佐賀藩(さがはん/ひぜんはん「肥前藩」とも:現在の佐賀県佐賀市)藩主であった鍋島家に伝来していた1振です。
本刀は長寸で身幅が広く、重ねは厚めで反りが深く、鋒/切先は伸びごころで豪壮な姿になっています。地鉄・小板目肌はよく詰み、地沸(じにえ)は細かに付き、地景は小糠肌(こぬかはだ)となり、鍛えの良さは抜群です。