「薙刀 銘 肥前国住近江大掾藤原忠広」は、「鍋島茂紀」(なべしましげのり)の愛刀と伝えられています。
鍋島茂紀は、肥前国(ひぜんこく:現在の長崎県と佐賀県)の佐賀藩自治領武雄領主。本薙刀は、1637年(寛永14年)「島原の乱」を父「茂和」(しげかず)が鎮圧し、薙刀の活躍と切れ味の凄まじさを聞いて、「藤原忠広」(ふじわらただひろ)に命じて作らせた薙刀です。
藤原忠広は、肥前佐賀藩のお抱え刀工で切味の良さを特に評価されました。徳川幕府の御試御用首斬り役である「山田浅右衛門」(やまだあさえもん)が刊行した刀剣評価書「懐宝剣尺」(かいほうけんじゃく)では、忠広自体が「大業物」(おおわざもの)に選ばれています。
享年80歳という長命で作刀数が多くありますが、本薙刀のような異風の作例は稀。本薙刀は、姿に品位があり、小板目肌に地沸(じにえ)が付く肥前刀特有の地鉄(じがね)で、肥前丁子と呼ばれる匂(におい)の深い互の目丁子(ぐのめちょうじ)の刃文が見事。
作刀を命じた鍋島茂紀の、「常住坐臥」(じょうじゅうざが:いつも戦陣の心を忘れない)という覚悟が体現されたかのような、迫力のある1振です。