本槍を作刀した「兼歳」の銘からも分かるように、「美濃伝」(みのでん)における刀工の特徴のひとつは、刀工名に「兼」(かね)の字を冠することにあります。
南北朝時代、大和国(やまとのくに:現在の奈良県)から移住して来た「兼光」(かねみつ:「元重」[もとしげ]などの説もあり)を始めとした関の刀工により、「鍛冶座」(かじざ)と称された自治組織が結成され、「兼」の字は、そのメンバーである証しとして、彼らの銘の通字に用いられていました。
「兼歳」は、明応年間(1492~1501年)頃に作刀していたと伝わる関の業物(わざもの:名工によって鍛えられた切れ味に優れた日本刀のこと)の名工。「関七流」(関の刀工たちの中で形成された7つの流派)の何れの派になるかは不明ですが、刃文は美濃伝特有の尖り刃(とがりば)が交じり、板目肌に柾目(まさめ)が交じる、地刃共に出来の良い1振です。